誰かの判断基準で生きていた自分から、本当の自分で生きるライフスタイルへ

誰かの判断基準で生きていた自分から、本当の自分で生きるライフスタイルへ

私の人生は、本音を言わず気持ちを伝えずに、
がまんばかりを繰り返している人生でした。

母の判断基準の中で

それは、自分がいったい何を思って、
何を伝えたいのかがわからなかった人生とも言えます。

小さい頃、母の愛にたっぷりと包まれて、安心の海で育ちました。
幼稚園までは、本当に楽しく過ごしていたそうです。
家に遊びに来る父や叔父の友達の前で歌ったり踊ったり、
兄や兄の友達と一緒に遊んだりして、いろんな新しいことを発見しながら毎日を楽しんでいました。

ですが、小学校の頃、
給食の量が食べれず一人教室で残されていました。
休み時間になってみんなはもう校庭で遊んでいます。
これ以上食べることもできず、どうしたらいいのかもわからず、
ただただ何が起こっているのかもわからずに、泣いて休み時間を過ごす日々でした。

心配した兄が休み時間に様子を見にいてくれていたそうです。
兄からもたくさんの愛をもらっていました。

成長するうちに、いろんなルールやいろんな人と出会っていきます。
母ととっていたコミュニケショーンのスタイルだけでは生きていくのはもちろん難しく、
いつもビクビクしていて、恐怖や不安がどんどん募っていきました。

母はいつも私の代わりに私の気持ちを感じ取ってくれる人でした。
そのため、自分はアウトプットをほとんどせず、表情や態度のみの交流で
人と話し合ったりせずに関係性のスタイルをつくっていたのです。

なので、小さい頃は
範囲が決まっている中での関係性に安心する、
無意識のうちに境界線をつくって、範囲を決めた交流だけをしていたのです。

小学校、中学校、高校、短大と進学していく中で
集まる人も自分の家の周りの地域の人たちから、県外の人や国外の人たちが集まってくる
判断基準の違う人に出会い、たくさんのショックを受けていきました。

母の基準とは違う意見を持つ人との交流をする中で、
自分はそう思わないと言われ、ショックを受けました。

母の言うことは絶対だった

なので、友人から「自分はそう思わない」と言われたことや
二十歳を超えてからも起こられることに対して疑問を抱いていきました。

母から観たダメだったこと(二十歳超えてます)
会社の仲の良い男女含めたグループ旅行にいくこと
友達の家に泊まること(許可がいる)
二十歳を超えた兄が煙草を吸っていたことを怒ること

今までは、自分がやりたいことを1から10まで全部話していました。
学校であったあんなことやこんなこと、
あの友達がこんな風にいっていたなど全部話していました。

ですが、成長する中で、それはダメ、あれやってもダメと怒られることが多くなり、
母に話すと過度に心配するということもわかり心配させてはいけないという意識が生まれました。
何も言わなければ心配が生まれないし、自分のやりたいことができると考え、
さらにさらにアウトプットをすることをやめていくことにしました。

大義名分で、実家脱出しちゃおう計画!

自分の意識は、母に支配されているように思ってきました。
なので、信用されたい、自由になりたい意識がどんどん蓄積されていきました。

その意識が蓄積された結果、
大義名分をつくって、実家を脱出しちゃおう計画!
が自分の中で生まれていくことになります(笑)

母が、母親世代が、有無を言えない大義名分とは、いったいなんのか、、、
それは「結婚」だと思ったのです。

そのような意識でいる私ですから、母親にとっての好条件の人を探し出会っていくことになりました。
好青年、努力家、素直

そして私は、+アルファで外国人の人と出会いました。
親から遠くに離れたいという思いからつくられた現実だったと思います。

計画は大成功!!!でも…

実家を脱出しちゃおう計画!は見事成功しました。

元主人の転職により結婚生活とともに福岡から東京にいくことも決まり、
実家から離れることにも成功しました!

でも結婚生活は9年で終止符を迎えます。
最初の3年間は楽しく過ごせていました。
ですが、それ以上の結婚生活を行うためには、まさに自分の意見を伝えあったりしていく必要がありました。
時にはぶつかり合うことも必要でしょうし、とことん話し合うことも大切になってきます。

実際、家でのコミュニケーションは薄くなり会話は乏しくなるばかり。
例えば、「ご飯美味しい?」「うん」や、「お風呂入る?」「うん」のみくらいでもありました。
自分は特にやりたいこともなかったこともあり、
いつの間にか、母に合わせるていたように、
旦那さんに合わせて生きていくようになっていきました。

ここでも、自分の意見が言えない状態、誰かの判断基準に合わるため
本当のコミュニケーションを取ることがむずしく、関係性を深めていくことができませんでした。

パートナーとのコミュニケーションの方法もわからず、
お手本となる身近な、父と母のコミュニケーションをマネするにも
父は典型的な九州男子、母は従順に尽くす女子という時代のコミュニケショーンでは参考にならない。

手っ取り早くできることとして本を読むようになりました。
参考になりそうな本を図書館で借りまくり読みまくりどうやって生きていけばよいのか
そして、参考になるところ取り入れて、自分の悪いところを見直していくことをやっていきました。

そうすると、また本を基準とするため、
この本ではこう言っている、あの本ではこう言っている、
自分のわるいところを直しても直してもきりがなく
本当の自分はいったい何なのか、さらにわからなくなっていきました。
精神的にもおかしくなっていたようにも思います。

本当のコミュニケーションって何だろう?
人とのつながりっていったい何だろう?
生きることとは何だろう?
どうやって生きていけばいいのだろう?

そんなことを考える毎日となりました。

新しい生き方への決断

ある大き過ぎる事件をきっかけにして、これ以上、彼の考え方ややり方思い方には、
私はとうてい着いていけないし、人として理解できないと判断したとき離れる決心をしました。
私は、自分の人生をしっかりと自分で歩んでいくことと心に決めたのです。

今までやったことのないことですし、その決断に至るまで、本当に苦しかったです。
母のもとに帰ることはできたかもしれませんが、かわいそうな自分で行きたいわけではなく。
離婚も弁護士と相談しながら母に頼らず、最終的には、自分で決めて自分で行いました。
自分としては大きな一歩でした。

私は私が目指す自分となって、新しい本来の自分で生きていきたいと思っての決断でした。

毎日を生きることで精いっぱいでした。
精神的なショックと、毎日仕事をすることと、何か集中することがなければ涙があふれてしまう。
気を抜くと仕事中でも涙があふれ、トイレに行き涙を拭いてひたすら仕事に取り組む毎日を送っていました。

これから生きていく中で、
たくさんの人とふれあっていく必要性があると思い、夜は受付のバイトをしたり
時間が空いているときは、イベントやセミナーに行き、人と会うようにする機会をたくさんつくっていきました。

人生が転換した

nTechセミナーとの出会いによって、いろんな人と交流をするようになりました。
ディスカッションを通して、自分が今思っていることをシェアしたり、相手の意見を聞いたり。

人の認識がどのような仕組みでつくられているのか。
学んでいくうちに理解が深まり、コミュニケーションの本質も深まっていきました。
また観点の問題知ったときにさらにモノの観方が大きく変わっていきました。

人間関係の全ての問題の裏に隠れる”観点の問題”

非認知でも問題、認知でも問題
違っていても問題、同じにしても問題、
固定しても問題、移動しても問題
自発であっても問題、他発であっても問題
肯定しても問題、否定しても問題
不完全でも問題、完全でも問題

母の言っていることは絶対じゃない!1つの観点だということが明確にわかりました。
そして、どうしてそのようになっているのかという背景を理解するコミュニケーションが取れるようになりました。

一つ一つの意見に左右される生き方ではなく
例えば、従う従わないというコミュニケーションをとるのではなくて
自分の認識が次元上昇することによって、良いも悪いもないところから、自らが選んで選択していくこと。

そのようにできるようになることで、コミュニケショーンに間ができる。
それは武道でいうと、ひと呼吸を入れ、いつでも自分でリセットをかけ戦える状態。
1クッション置くことで、感情につかまれることも少なくできるし
今までの自分のパターンでのコミュニケーションを立ち止まって見れることができる。

文章で書くと伝えきれないいことかもしませんが、
これは本当にすごいことなんです。

すべてのモノの観方が変わる、概念が変わることにより、世界が変わります。
自分の認識がすべてを作り出し、規定して生きている。
じゃあ、どんな認識を自らが創り出すのか、創り出していきたいのか。

新しい生き方は、自分の認識のチェンジからはじまる

私はたくさんの愛を受けて育ってきました。本当に宝だと思います。
でもその反面、主体的に未来から規定して新しく、
今ここをいつでも創り出していくことは誰からも学ぶことはできませんでした。

母との関係性もどんどん変わってきています。
自分が本当にワクワクしたエネルギーで、自分の思いを伝えれば伝わります。

私がこれから創りたい世界、それは一言でいうと「恒久世界平和」です。
そのために必要な技術として「nTech」が共通土台として必要になってきます。

このすばらしい技術の魅力をたくさんの人伝えていき、
Win-Win-All-Winの世界にして、みんながみんなを活かしあえる世界にしていきます。

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