本当は、生きたくない。

本当は、生きたくない。

本当は?

自分の心の出発を考えると、本当に生きたくないんだなと。

まだ、こんな気もちがあるんだ。これは今までのアイデンティティーによるものだよね。

今までのアイデンティティーは、勘違いの連続でまだ未熟な幼少期の原体験の中で作られたものを必死に今も握っている。

私は、場が安心というのを家庭の中で、特に需要な母親の愛によってしっかりと実感している。だけど、条件によって儚くもその安心がすぐ崩れることも知っている。絶対安心だったのに、母は突然家出した。父との関係性に絶望を感じた母による失踪だったと思う。父は泣きじゃくる私をあぐらの上にただちょこんと乗せ「大丈夫だよ、帰ってくる」と温かくもなく淡々と当たり前のように何の根気良くもなく言った。私はただただ泣いて待つしかなかった。みんな嘘ばっかりつく。そして、母親は、数時間後帰ってきた。私はすごく安心したと思う。だけど、母がいなくなる恐怖と、何も感じない父が残る恐怖を味わい。母に気を使う良い子にもなっていったのかもしれない。

これに似たシチュエーションが来ると、今でも本当にすべてが絶望と感じる。誰かアウトプットしてもみんなそっけなく答えるのが当たり前で、世の中歯なんとなく生きる。通り過ぎていくだけなんだ。

そっか、だから期待はしないんだ。どうせみんな嘘なんだからと。解決方法は、時間のが経過することによって、忘れるか、なかったことにするかなんだと。

成長した今だからこそ、nTech技術で全体を理解したところで判断基準を持ちたい。今までのパターンで生きることだけを選びたくない。この思い方だけで生きていくなんて持ったないし、まったく面白くもない。nTechで新しいアイデンティティーを自ら選択して創ることもできる陽になったのだから!

そうか、幼少期の原体験。整理すればするほどに、ここのイメージで強烈に生きている私がいるんだ。

自分を知って、新しい解析をどんどんしていこう。

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